67番札所である大興寺(だいこうじ)へ移動してきました。
この頃には時折、晴れ間もみるなど風のない穏やかな午後となっている。
大興寺は弘法大師が本尊薬師如来を刻んで安置し、四国霊場とした。
弘法大師は真言宗だが、この大興寺は昔、真言宗と天台宗の修行道場として栄えたそうだ。
そういうことから、本堂の左右にそれぞれの宗である大師堂があるという、とてもめずらしいお寺だ。

仁王門
仁王門の金剛力士像は、彩色を施した桧材の寄木造りで鎌倉時代の作とされ、作者は運慶と寺伝にはある。しかし一説には頭の部分だけは江戸時代に替えられたものと言われている。
これには次のような伝説がある。吉三郎との恋仲を反対された八百屋お七は結ばれないことを悲しみ、江戸の町に放火をし処刑されてしまう。残された吉三郎は、お七の冥福を祈り四国遍路に出る。
吉三郎はこの寺の仁王像の首が傷んでいるのを見て、お七の供養として新しい首を納めるために傷んだ首を背中に背負い、修復のための寄付を集めに四国中を歩いたといわれる。
実は金剛力士像だけではなく、仁王門も負けず劣らずの素晴らしい門であり国宝に指定されている。
本堂に向かう途中に、弘法大師が植えたと伝えられている榧(かや)と楠の老樹があった。
小松尾寺のカヤ
胸高幹周 4.1m
樹高 20m
樹齢 1200年余り
形状 自然形
イチイ科の常緑針葉樹
弘法大師四国修行の砌カヤの種子植えられたと伝えられている
と、そばの看板に書いてある。

本堂
寺宝は、「大興寺」と記された木額(扁額)で、文永4年(1267年)の刻印が裏に押されているという。

本尊である木造の薬師如来像は檜の寄せ木造で平安時代の作とされる。
こちらも61年毎に開帳される秘仏である。また頭巾をかぶった天台大師坐像は鎌倉時代の作ということだ。
ここ大興寺は歴史そのものが今も受け継がれ、素晴らしい状態で保たれていた。
鎌倉時代末期建立の本堂と三重塔、1251年モノの銅鐘、1333年モノの鐘楼、もっと昔にさかのぼれば1190年に建立された重要文化財にも指定されている石造五輪塔などがあるのだ。

本堂は本瓦葺き、五間四面の入り母屋造り。境内にある三重塔は、本瓦葺き屋根で塔内には、真言八祖の像が描かれている。
本堂の左手にある洞窟に、八十八箇所霊場と四十九修行場が設けられている都卒天洞や、お山四国八十八箇所霊場、四国三十三観音霊場など見所が多い。本堂と仁王門の間にある湯音石は高さ1mほどの柱で、耳をあてると道後温泉の湯音が聞こえるといわれる。

本堂内では数十本もの赤いロウソクの炎がゆらめいていた。これは「七日燈明」と呼ばれる秘法で、赤いロウソクに病気平癒、安産、良縁、断酒などの願ごとを書いて奉納すると、7日間ロウソクの火を灯して祈祷してくれるそうだ。参拝出来ない遠方の信者にも好評であろう。

本堂の前にはお遍路さんがお守りにする不思議な縁起物「三鈷の松」が移植され、松の木の下には「ご自由にお取り下さい」と松葉が箱に収められている。その松葉を持っているとご利益があると言われている。

三本葉松といって、三つに分かれている。
これを財布に入れておくと金持ちなるそうだ、もちろん一つ頂いてきた。
修行は難しい・・・・(般若心経とは「無」=「空」になることが修行であるのに、つい縁起をかつぎ「増減」や「上下」を意識しているわたくしがココにいるのだ)
立派な老樹に囲まれた静かな境内に、これまた物静かな主と出会う。

母フクロウからはぐれた赤ちゃんフクロウだ。
ぱやぱや〜お毛ヶは目立たなくなってきているが、あどけない表情は見てとれる。
大きなお目々でぐるんっ、ぐるんっとクビを回し、とっても愛くるしい。
是非、大興寺に訪れた際には会ってほしいと思う。
境内入って直ぐ右手にいらっしゃいます。
余談だが、毎年4月の第3日曜日には「うどん接待」が催される。本場讃岐のうどんが1日で約800食も振る舞われ、お遍路さんたちから喜ばれているそうだ。